2016年3月14日月曜日

アイドルを応援するということ

アイドル趣味とはなかなか理解されないもので、
「そろそろ目を覚まして彼女でも作れ」と会社の上司によく言われるのだが、
言われてすぐに気持ちを切り替えられるのなら苦労はしない。
私も自分自身で妙な生活をしているなとつくづく思うのだが、
これが最高に楽しいのだから仕方ないのだ。

「どういう気持ちで応援しているのか」ともよく聞かれるが、
これもそう簡単に答えられる質問ではない。
梅やはるたんを見た目で選んだのかというと決してそういうわけではないのだが、
全然好みのルックスでなかったとしたらきっと推してはいない。
見た目だけだったら一番好きなのは詩乃ちゃんかまりりだろう。
ダンスパフォーマンスはなおぽんが好きだ。歌声はじーなかりこぴがいい。
だが、私の推しメンは上野遥以外にいない。
何か一つのことが突出して好きだから推しているというわけではなく、
そういった諸々の一定水準を超えた上で、
内面から滾る何かを持っているメンバーを推しメンと呼ぶのだろう。
こんな曖昧な言葉を紡ぐしかないほど、推しメンというものを定義づけすることは難しい。

冷静に考えれば、一見何の見返りもないアイドルの応援に何十万と注ぎ込むのは、
人から見たら常軌を逸した行為であることだと理解はできる。
ただ、それを自分で常軌を逸しているとは決して思わない。
騙されているとかいないとか、踊らされているとかいないとか、そんなことに興味はないのだ。
応援するアイドルの一喜一憂を見ることで、我々ファンも本気で一喜一憂することができる。
スポーツを見たりするのと根源的なところは一緒で、
アイドルの応援とは更に、ファンがお金や労力をかけることで直接結果に介入できる。
それはただ声援を送るだけでは決して成し得ない、特別なことである。

推しメンの定義の話に戻るが、我々は「こうありたかった理想の自分」をアイドルに投影し、
そのメンバーの活躍を後押しすることで、自分の理想を実現しようとしているのかもしれない。
つまり推しメンとは、「一番自分の理想に近い生き方をしているメンバー」のことなのだ。
そう考えれば、梅もはるたんも自分で非常に納得のいく人選だ。確かにこの二人しかいない。



最近何やら悩んでいる様子のはるたんだが、人間そういうときも必要だ。
痛みを知っている人は強い。甘やかされて育った弱っちい私にはよくわかる。
これまでもずっと苦しんできたはるたんにもっと苦しめと言うつもりは毛頭ないが、
きっとその分、その苦しみが報われたときの喜びは人よりずっと大きいはずだ。
だから、もう少し待っていてほしい。必ず我々ファンが大きな喜びをもたらしてみせる。
はるたんを笑顔にするために、さあ今週も頑張ろうじゃないか。

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