2016年6月26日日曜日

6月9日

「無計画は失敗の計画」という言葉を、私の父はよく使っている。
出典を調べると、人材コンサルティング会社社長の青木仁志氏だったり、
バスケットボールの名将ジョン・ウッデンだったり、色々な名前が出てくるのだが、
大元は18世紀アメリカの政治家であるベンジャミン・フランクリンの言葉らしい。

今回の総選挙の失敗…あえて「失敗」という言葉を使うが、
これは完全に我々ファンの準備不足と戦略ミスが招いた結果である。
最初からこうしていればと思うような、綿密に計画を立てていれば気付けたような、
明暗を分ける落とし穴が投票期間中にいくつも見つかった。
当落ボーダーライン上にいる我々のような陣営が、
そういった落とし穴を見落としていいはずがなかったのだ。

また1年もの苦しい努力の期間を他でもない推しメンに与えることになってしまったことは、
悔やんで悔やみきれるものではないが、この経験を生かさなくては仕方がない。
来年、ランクインなどと小さいことは言わず、
圏外からのジャンプアップ賞を狙うくらいの勢いで上野遥に喜びと感動をお返ししたい。
そのための準備を始めるのに早すぎることはない。
次の総選挙まで、もう1年を切っているのだ。

さて、反省の弁はこれくらいにして、6月9日、
私の27歳の誕生日に初めて入った西鉄ホールの感想でも書くことにしよう。

今年に入ってからびっくりするほど土日祝に公演がなく、
結局初めて入る公演も平日に休みを取るという力技になってしまったのだが、
何にせよ、いい加減特に嬉しくもなくなってきた誕生日が、久々に心踊る日になった。

当選枠は誕生月枠だったのだが、西鉄ホールになってから指定席も抽選入場である。
抽選とは言っても、Bステ前のいくつかのブロックの中からの抽選になるので、
いい席を引く確率はMobile以降の枠よりも高めになっている。
各指定枠の先頭の当選番号(下一桁が「1」)の人がくじを引くのだが、
誕生月枠の先頭だった私が列の後ろの人たちの命運を背負ってくじを引くことに。
結果、見事Bステ前2列目を引き当て、
旧劇場の最前列より近いのではないかというような距離でメンバーを見ることができた。

ちなみに、旧劇場であったお見送りの際の誕生日当日特典は、
お見送り場所がロビーから舞台前に変わった関係でなくなっていた。
その代わりに貰ったのがこれである。



裏返しの状態で3つの中から選んだら、メロンジュースをイメージしたシールが当たった。
まあ何もないよりはマシである。こういうのは気持ちが大事なのだ。

そして何より、唯一面と向かって「誕生日おめでとう」と言ってくれたのがはるたんだった、
その事実だけで私は、この日世界中の誰よりも幸せ者だった自信がある。
誕生日だということを覚えていてくれたからだろう、
最後の曲の紙飛行機も私を狙って投げてくれた。
見事にシュートして二つ隣の席に飛んでいってしまったのだが、
受け取って嬉しいのは物よりもその気持ちである。

そんなこんなで、そのことへの感謝の気持ちだったり、総選挙に対する諸々だったり、
それらを来週の全握券3枚分で伝えきれる自信が全くない。というか無理だ。
梅推しだったときは遠巻きに眺めているだけである程度満足していたのだが、
いよいよ私も本格的に48Gのファンらしくなってきてしまったな…。

2016年6月18日土曜日

疑念

執筆時点で、まだ開票が進んでいる最中である。
まだ呼ばれていないメンバーの面子を見ても、
誰が何位になるかという問題だけであって、大きな波乱はなさそうである。

80位の票数が発表された時点では、私は大いに歓喜した。
選対で把握していた票数だけでも、ランクイン基準を大幅に上回っていたからである。
しかし、実際のところ何が起こったのかはわからないが、
上野遥の名前が呼ばれることはなかった。
全く歯が立たなかったのなら諦めもつくというものだが、
何が原因なのかがわからない以上、
今はまだ来年どう頑張るかという心の整理をつけられる状態ではない。

いや、自分のことはどうでもいい。
長い目で見て、はるたんにとって今年の総選挙が何かの糧になっていればいいのだが。
思ったようにはいかないものである。

這い上がるしかない。
私は、上野遥が大好きなのだ。
それだけは、何があっても絶対に変わらない。
そのことを、どう言えば伝わるのか。伝えられるのか。
今はまだ、わからない。

2016年6月12日日曜日

1番目に呼ばれた100番目の女の子

速報100位の喜びを、本当は興奮冷めやらぬうちに綴りたかったのだが、
気付けばもう投票締め切りまで1週間を切ってしまった。
私の役割はほとんど金を出すことだけなのだが、
それでも「お前の出した金のおかげでなんとかなった」と言ってもらえるよう、
まだ失うものなど何もない独身者の私にできる限りの拠出はしてきたという自負はある。
それをどれだけ票に繋げられるかという努力は同志たちが懸命にしてくれているので、
後は私も微力ながらその手伝いをするだけである。

冒頭で「興奮冷めやらぬうちに」と書いたが、100位で名前を呼ばれた瞬間、
私の中に駆け巡った思いは一口に表現し難い、複雑なものだった。
それは誰しも同じことだろう。100位?名前を呼ばれたとは言え、ランクインまであと20位?
しかし、そんな気持ちもはるたんの涙を見て消し飛んだ。
100位ということは、もう数票、数十票の差で、
どの程度の位置につけているのかということさえわからない状況になるところだった。
それが、初めて名前を呼ばれて、初めて票数が明らかになった。
きっと不安に押し潰されそうになっていただろうはるたんに、
一つの結果として意思表示をすることができた。
そしてそれを、はるたんは涙を流して喜んでくれた。
はるたん推しになって本当によかったと、心から思えた瞬間だった。

本番で名前を呼ばれる人数は、80人にまで絞られる。
そこに残るためには、1票さえ無駄にするわけにはいかない。
今度はテレビ中継で喜ぶはるたんの姿を、私は見たいのだ。



誕生日に入った西鉄ホールのことは、また別の記事に書くとしよう。